2016年11月3日木曜日

去年の秋のはなしと、この世界に生まれてきての感想はなに?

「これはすごいすごい秋」の公演が始まる前(もう今日だけど)に、この作品のことをうんうん考えることになった去年の秋のはなしを書いておこうと思います・


去年の7月に結婚してイタリアに引っ越して、8月中頃に新婚旅行として日本に帰って、9月にイタリアに戻ってきたときにはそこはすっかり秋になっていて、
怒涛の夏がおわってわたしの本当の新しい生活がはじまったのが去年の秋だった、わたしの住む北イタリアの小さな街は夏はものすごく暑いけど冬もとても寒く、秋も寒くなるのがはやくておまけにうちがけっこう寒いので9月頃からもう寒い思いをしていた気がする。

この去年の9月から11月くらいまで、肌寒い秋のイタリアの小さな街で、エウジー(夫)はちょこちょこ仕事で海外にいってしまって、度々ひとりで過ごすことになった。

ここに引っ越してきてから、大袈裟でなく1週間のうち数分日本語を話せればいい方で、(エウジーと話す日本語とイタリア語と英語の混ざっためちゃくちゃな会話以外で)
日本語は主にわたしの頭の中で何かを考えたりするときに使われる言語となって、とは言っても普段の会話の中で使われるイタリア語がその思っていることをそのまま話せるようなレベルではないから、わたしの頭の中は日本語で自分が考えること、思うことでパンパンになってしまって、
しかもそれを日本語ですぐ誰かにそれを話すこともできなかったから、それを吐き出すために「これはすごいすごい秋」の台本を書いていたような感じだったと思う。


新しい生活の中で毎日毎日感じることや思うことが多すぎて、おまけに日本にいた頃はそこまで身近に感じなかったいろんな社会情勢が去年の秋はわたしの生活も脅かしだして、頭の中はこの生活をどういう考え方で乗り切るのかということでいっぱいになっていた。


ある日お風呂に入りながら、未来のことを知るために100年後の中学生の歴史のテストの穴埋め問題を覗き見してみることにした(想像で)(なんか一見明るい解決法だがこれをひとりぼっちでやってるのでけっこうやばい)
するとそこには「欧州文化の衰退」とテーマが書いてあって、やべ、これから衰退する地域に引っ越してきちゃったなぁと困ってしまった。
それと同時に、未来と過去についてうんうん考えていたら、未来の中学生?がわたしにささやいてくれた

「未来と過去はどっちが特別ってことはない、どっちも今から前か後かだけで、同じだよ、そろそろ中学校の教育の中でも、過去をせっせっと勉強してばかりでなく、未来の勉強をすることも必要なんじゃないだろうか!」(ずいぶん教育熱心な中学生)

とのことだった、なるほど未来と過去が同じか、と思って、今回の公演はきっと「懐かしい未来のはなし」になるのかもと思った、そして、大きな力がすべてを率先していく時代がおわって、それぞれの小さな地域の持つ変でおかしな生活習慣や暮らし方がクローズアップされていく時代になっていくのだろうか?それはけっこういいかもしれないなんて考えたりした。

いつだって社会情勢が不安定だったりして、漠然とした「未来」は悲観的に想像されたりする(別にそんなことないときもあるけど、何をテーマに未来を語るかにもよるかと思う)
でもそういうことを考えるときいつも思い出すお気に入りのはなしがあって、バンコクで昔住んでたドイツ人のエレーヌという女の子のはなしで、80年代の初め頃ドイツではこんな世の中に果たして子供を産むことが正しいのか、という論争が起こって彼女の両親も子供を産むべきかどうか悩んだそうだ(おそらく冷戦の真っ只中だったし、各地で戦争もあった。)
そして結局エレーヌを産むわけなんだけど、両親は大きくなったエレーヌにこの世界に生まれてきてどうだった?といまだにきくそうで、なんて答えるの?ときいたらエレーヌは爪を磨きながら

「ここではいいことも、悪いこともあるわ」

って答えるの、と言っていた。

「ここではいいことも悪いこともある」世界に生まれてきた、ってだけでもだいぶいい感じがするし、このはなしをきいてから、そうかやっぱりいつの時代もいいことも悪いこともあって同じなんだっていうふうに思った。

でも、とはいえ自分はすごく恵まれていて、本当に悪い時代を知らないだけかもしれないとも思う。ありがたいことに飢餓や戦争に直面したことはまだないし、激しい気候の変化にも見舞われてはいない、
だけどいつのどんな時代に生まれてくる子供もどんな状況でもその中でいつも新しい遊びを開発し遊ぶはずだから、それは未来が明るいか暗いかは関係ないんだなと思う。

ということを考えていたら、自分がまだ小さかったときと、自分のママが若かったときのことを思い出した。


自分が小さくてまだママが若かった頃、歌の先生をやっていたママが家事をしながら歌を歌ってる時があれば、それは彼女の機嫌のいい証拠だった、

それ以外の機嫌の悪い時はけっこうヒステリックだったので注意したものだ。

そう、わたしが幼かったとき、彼女もまた若かったので。
まるでいまの私みたいに。

もしかしたらママもときどき小さい時のわたしに会いたいんじゃないかと思うことがある。